ボーイスカウト最高賞 富士章 を獲得した話
一年半ほど前、ボーイスカウトで最高賞である富士章を獲得したときのことを思い出していたためブログにまとめてみようと思います。
僕が高専(高校)三年生になるまでは、今までずっと一緒にやってきた同級生がいましたが、受験勉強を機に人数が減っていき僕のモチベーションも下がっていきました。
ベンチャースカウトになった当時は「絶対富士スカウトになるんだ」と公言していましたが、僕は弱い人間なので三年の夏休みには「もう取らなくていいや」って思っていました。
富士章は本当に取ろうと思わなければ獲得できないものであったため、当時の下がりっ切ったモチベーションでは無理だと考えていました。
そんな中、9月ごろ僕をボーイスカウトの世界に誘ってくれた小学生からの友達が「いっしょに富士章とろうよ!」と言ってきました。
その友達は自分の団の中で最も優秀なスカウトを上げてくださいとアンケートを取ると絶対に名前が挙がる模範スカウトのような人で、「こいつだけには負けたくない」と思い富士章を取ることを再決心しました。
再決心するまで実技関係の審査項目は6割程度終わっていたため実技はささっと終わりました。レポート形式で提出するものも多くあったためそのあたりは苦労しましたがどうにかOKを貰い、富士章の申請をしたときには200枚近くの書類の山ができていました。
そしてその2月の、面接も無事終わり晴れて富士スカウトになることができました。
そしてその時、僕のボーイスカウト人生で最も苦しい出来事が待ち受けていまた。
友達に表現力のレベルの違いを見せつけられました。
面接官は僕らの活動を見ていない人たちでした。
僕はその友達を超えることをやってきたつもりでした。
しかし、面接官は僕の活動を見ておらず、報告書と質問に対する返答だけで判断します。
ここで表現力が問われ、自分の表現力のなさと友達のすさまじい表現力に絶望しました。(面接の結果どちらが好印象だったもうわかりますよね)
結局、富士スカウトとして優秀かつ我が団の最優秀スカウトはその友達でした。
僕はその友達に何をとっても一度も勝てた経験がなく、ボーイスカウトでもそれは変わりませんでした。
ボーイスカウトだけは勝てると勝手に思い込んでいただけになかなかのショックで隊長の家で号泣してしまいました。
しかし、富士章に向けて努力できたこと ライバルの存在がいかに大切か実感させられたこと 自分の欠点を見つけられたこと は最高の財産になりました。
これからボーイスカウトで富士スカウトを目指す後輩の皆さんも富士章を獲得するだけでなく何か伸びしろを見つけてほしいと思っています。